1. この手の法令対応が実務レベルで崩れていく理由
厚生労働省の公表資料を要約すると、事業主にはカスハラ対策として、
- 事業主の方針の明確化、周知・啓発
- 相談体制の整備
- カスハラ発生後の迅速かつ適切な対応
- 再発防止のための措置
- 相談者等のプライバシー保護や不利益取扱いをしないことの周知
などが求められています。
そして、この手の法令対応で難しいのが、
「迅速に対応する」
「適切に対応する」
「必要な措置を講じる」
といった考え方を、実際の業務にどう落とし込むかです。
例えば、
- 「迅速に対応する」とは何時間以内なのか。
- 誰がカスハラだと判断するのか。
- 店舗の従業員はどこまで自分の判断で対応を打ち切ってよいのか。
- 警察への通報は誰が判断するのか。
こうしたところまですべて法律に書かれているわけではありません。
そのため、経営や総務が必要に応じて社労士や弁護士などとも相談しながら、自社としての対応を決めていく必要があります。
そして、正解が一つではないものを運用に落とし込もうとすると、やがて、
「規程を作った」
「相談窓口を設置した」
「従業員に研修をした」
というところがゴールになってしまうことがあります。
しかし、今回のカスハラ対策については、それだけでは十分とは言えません。
パワハラやセクハラの防止対策では、基本的には社内の人間関係や職場環境への対応が中心でした。
一方、カスハラでは顧客や取引先など、会社の外部にいる相手に対して、場合によっては会社として毅然とした対応を取る必要があります。
それは法令対応というだけではなく、従業員の負荷を軽減し、問題が長期化することによる事業への影響やブランド毀損を防ぐためにも必要なことです。
2. 最も重要なカスタマーハラスメントの線引き
厚生労働省の指針では、カスハラについて、
①顧客等の言動であって
②その言動が業務の性質その他の事情に照らして社会通念上許容される範囲を超えたものであり
③それによって労働者の就業環境が害されるもの
という考え方が示されています。
実務上は、このうち「社会通念上許容される範囲を超えているか」をどう判断するかが難しいところです。
例えば、要求内容そのものが不当なケースがあります。
- 商品やサービスとは関係のない要求
- 契約や通常のサービス範囲を著しく超える要求
- 対応が困難、または不可能な要求
- 不当な損害賠償要求
などです。
一方で、要求内容自体には一定の理由があったとしても、その要求を実現するための手段や態様に問題があるケースもあります。
- 暴行、傷害などの身体的な攻撃
- 脅迫、中傷、侮辱、暴言などの精神的な攻撃
- 威圧的な言動
- 継続的、執拗な言動
- 不退去、居座り、監禁などの拘束的な言動
などです。
ここで総務として考えておきたいのが、
「要求内容が不当なのか」
「要求の手段や態様が不当なのか」
という二つは、実際の現場では判断のしやすさがかなり違うということです。
例えば、タクシー運転手が目的地まで顧客を送り届けた後に、
「玄関まで荷物を運んでほしい」
と要求されたとします。
契約上提供しているサービスの範囲によっては、通常のサービスを超えた要求と判断できるかもしれません。
だからといって、その要求があった瞬間にカスハラとして対応するのは難しいでしょう。
「足を怪我しているので、どうしてもお願いできませんか」
と丁寧に頼まれた場合まで、直ちにカスハラとして扱うのは適切とは言いにくいからです。
一方、
「できない」と説明しても何度も要求を続ける。
大声で怒鳴る。
承諾するまで車から降りない。
こうした状態になれば、カスハラとして対応すべきかどうかの判断はしやすくなります。
つまり、要求内容だけで判断するケースでは、正当な苦情や要望との境界判断が難しくなりやすいのです。
だからこそ、総務が会社の方針を定め、従業員への周知・啓発を行うのであれば、
「カスハラは禁止されています」
と伝えるだけでは足りません。
現場の従業員が、
「これは通常のクレーム対応なのか」
「ここからカスハラ対応へ切り替えてよいのか」
を判断できる基準を作る必要があります。
3. 法律で求められることを、そのまま現場に渡さない
事業主にはカスハラ対策として、いくつかの措置を講じることが求められています。
大きく整理すれば、
- 会社としての方針を定め、周知・啓発する
- 相談体制を整備する
- カスハラ発生時に迅速かつ適切に対応する
- 被害を受けた従業員へ配慮する
- 再発防止のための措置を講じる
- 相談者等のプライバシーを保護する
- 相談したことなどを理由とする不利益な取扱いを防止する
といった対応です。
ただし、これをそのまま従業員へ伝えても、実際の現場ではほとんど使えません。
例えば店舗で顧客が従業員に対して30分以上怒鳴り続けているとします。
その従業員が知りたいのは、
「会社はカスハラを許しません」
という方針ではありません。
知りたいのは、
「自分の判断で対応を打ち切ってよいのか」
「店長を呼んでよいのか」
「バックヤードへ退避してよいのか」
「警察を呼んでよいのか」
ということです。
法令上求められる措置と、現場で必要なルールには距離があります。
ここを埋めることが、総務に求められる実務ではないでしょうか。
4. 総務が決めておきたい具体的な対応
では、実際に何を決めておけばよいのでしょうか。
会社の業種や顧客との接点によって当然異なりますが、例えば次のような内容です。
① 会社として何をカスハラと判断するのか
まず必要なのは判断基準です。
暴力や脅迫などは比較的判断しやすいでしょう。
難しいのは、
- 同じ要求を何度も繰り返す
- 長時間拘束する
- 通常提供していないサービスを要求する
- 担当者の変更を繰り返し要求する
- 謝罪文や土下座などを要求する
- 従業員個人への連絡を求める
といったケースです。
どこからカスハラ対応へ切り替えるのか、自社の業務に合わせて具体例を示しておく必要があります。
② 上長の許可なく相談できる体制を作る
相談窓口を設置していても、
「まず店長に相談してください」
「所属長を通してください」
という運用になっていれば、直属の上司に相談しづらいケースでは機能しません。
相談窓口への連絡方法を明確にし、必要に応じて本人が直接相談できる体制を整えておく必要があります。
③ 現場が対応を打ち切れる条件を決める
ここは非常に重要です。
例えば、
- 暴力や脅迫があった場合はその場から退避してよい
- 一定時間以上同じ要求が続いた場合は上長へ引き継ぐ
- カスハラが疑われる顧客には可能な限り複数人で対応する
- 現場で回答できない要求については本社へエスカレーションする
- メール等による執拗な要求には現場で回答を続けず、担当部署へ引き継ぐ
などです。
法律が一律に「30分で対応を打ち切りなさい」「必ず2人で対応しなさい」と決めているわけではありません。
だからこそ、自社で基準を決める必要があります。
④ 警察など外部機関へ連絡する基準を決める
暴力、脅迫、不退去など、状況によっては社内だけで対応すべきではないケースもあります。
その場合、
「誰が警察への連絡を判断するのか」
まで決めておいた方がよいでしょう。
例えば、
- 暴力が発生した場合は従業員判断でも110番してよい
- 退去を求めても応じない場合は店長判断で警察へ連絡する
- 犯罪に該当する可能性がある場合は本社へ報告すると同時に警察への相談を検討する
など、自社の業態に合わせて整理します。
緊急時に本社の承認を待たなければ警察を呼べないという運用では、従業員を守れない可能性があります。
⑤ カスハラの記録を残す
発生したカスハラについては、記録を残しておくことも重要です。
例えば、
- 発生日時
- 発生場所
- 対応した従業員
- 顧客等からの要求内容
- 具体的な言動
- 対応時間
- 会社側が行った対応
- 警察等への連絡の有無
- 従業員へのフォロー
などです。
記録がなければ、同じ顧客による行為が繰り返されても、毎回「初めて発生した問題」として扱うことになりかねません。
また、発生事例を蓄積することで、自社のカスハラ判断基準や対応方法を見直す材料にもなります。
⑥ 従業員に「権限」を周知する
研修では、カスハラの定義だけを説明して終わらないことが重要です。
むしろ現場にとって重要なのは、
「何をしてよいのか」
です。
対応を打ち切ってよい。
上長へ引き継いでよい。
バックヤードへ退避してよい。
一人で対応しなくてよい。
警察へ連絡してよい。
こうした権限を会社として明確にしておかなければ、従業員はカスハラだと思っていても、
「勝手に対応を止めたら怒られるかもしれない」
と考えて対応を続けてしまいます。
⑦ 顧客にも会社の方針を示す
必要に応じて、
- 店舗への掲示
- ホームページへの掲載
- 利用規約への記載
- 問い合わせページへの掲載
などによって、会社としてのカスハラへの対応方針を外部にも示します。
ただし、単に、
「カスタマーハラスメントはお断りします」
と書くだけでは十分ではありません。
暴力、脅迫、長時間拘束、過度な要求などについては、対応を中止したり、利用を断ったり、必要に応じて警察等へ相談したりする場合があることまで示しておけば、現場としても会社方針に基づいて対応しやすくなります。
5. 2026年10月までに総務が準備するなら
今回の対応を実務として考えるのであれば、単に「カスハラ規程を作る」というプロジェクトにしない方がよいでしょう。
まず、自社でカスハラが発生する可能性のある接点を洗い出します。
店舗なのか。
電話なのか。
営業担当者なのか。
コールセンターなのか。
問い合わせフォームなのか。
SNSなのか。
取引先との商談なのか。
そのうえで、それぞれについて、
「誰が最初に対応するのか」
「どこまで対応するのか」
「どの状態になったらエスカレーションするのか」
「誰が対応を打ち切れるのか」
「誰が警察等への連絡を判断するのか」
を決めていきます。
そして、そのルールを、
- 社内規程
- 対応マニュアル
- 相談窓口
- 報告フォーム
- 従業員研修
- 店舗やWebサイト等への掲示
といった形に落としていきます。
この順番で考えた方が、「規程はあるけれど現場では使えない」という状態を防ぎやすくなります。
まとめ
カスハラ対策では、相談窓口を設置したり、規程を作ったりすることも当然必要です。
しかし、実際にカスハラを受けるのは現場の従業員です。
そのとき、
「会社はカスハラを許しません」
という方針だけがあっても、従業員はどう動けばよいのか分かりません。
重要なのは、
「ここまでは現場で対応する」
「ここから先は上長や本社へ引き継ぐ」
「この状態になったら対応を打ち切る」
「この場合は警察へ連絡する」
という境界線を決めることです。
そして、その境界線を越えたときに、従業員が会社の方針として対応を止めたり、助けを求めたりできる状態を作る必要があります。
「お客様は神様」という言葉がありますが、それは従業員が不当な要求や暴言に耐え続けなければならないという意味ではないはずです。
2026年10月の義務化を、規程を一つ増やすだけの法令対応で終わらせるのではなく、
「従業員がどこまで我慢しなくてよいのか」を会社として決める機会にする。
カスハラ対策では、そこまで実務に落とし込むことが重要ではないでしょうか。